平安時代を代表する随筆文学である『枕草子』は、約1000年という長い時を経た現代においても、多くの人々の心を惹きつけてやみません。
清少納言という一人の才能あふれる女性によって綴られたこの作品は、当時の華やかな宮廷生活や四季折々の自然の美しさ、そして人間が抱く複雑な感情の機微を、驚くほど鮮やかに描き出しています。
この記事では、『枕草子』が持つ独自の特徴や文学的な魅力、そして作者である清少納言の生涯について詳しく解説していきます。
古典文学に苦手意識を持っている方でも分かりやすいように、具体的な章段の紹介や『源氏物語』との違いも交えながら、平安時代の豊かな美意識と知性の世界へご案内します。
『枕草子』とは?平安時代を代表する随筆文学の基礎知識
日本の古典文学を語る上で、決して欠かすことのできない名作が『枕草子』です。
学校の授業などで「春はあけぼの」という有名な書き出しを暗唱した経験がある方も多いのではないでしょうか。
ここではまず、作品の基本的な概要や成立の背景について紐解いていきます。
日本最古の随筆文学としての価値と成立年代
『枕草子』は、平安時代中期の女流作家である清少納言によって執筆された、日本最古の随筆(エッセイ)です。
正確な成立年代については諸説ありますが、おおよそ西暦1000年(長保2年)頃に完成したと考えられています。
当時の社会は、藤原道長をはじめとする藤原氏が権力を握り、貴族文化が最も華やかに花開いていた時代でした。
全297段(伝本によって数は異なります)から構成されるこの作品は、特定の物語の筋を持たず、作者の目を通して見た世界が自由な形式で綴られています。
紙が非常に貴重であったこの時代に、これほどまでの長編随筆が残されたことは、日本文学史において極めて重要な意味を持つのです。
個人的な日記の枠を超え、一つの芸術作品として昇華された『枕草子』は、後世の文学に計り知れない影響を与えました。
「をかし」の文学と称される独自の美意識
『枕草子』を語る上で欠かせないキーワードが「をかし」という言葉です。
現代語の「おかしい(滑稽だ)」とは少しニュアンスが異なり、平安時代における「をかし」は、明るく知的な美しさや、興味深い様子、洗練された趣などを表す褒め言葉として用いられていました。
清少納言は、日常の何気ない風景や出来事の中にこの「をかし」を見出す天才でした。
彼女の視点は非常に客観的であり、感情に流されすぎずに対象を冷静に観察する特徴を持ちます。
悲しいことや辛いことがあっても、それをあからさまに嘆くのではなく、あくまで知性とユーモアを交えて表現する姿勢が貫かれているのです。
この明るく肯定的な「をかし」の精神こそが、『枕草子』を唯一無二の文学作品たらしめている最大の要因と言えるでしょう。
作者・清少納言の生涯と中宮定子との深い絆
『枕草子』の魅力を深く理解するためには、作者である清少納言自身の人生を知ることが非常に重要です。
彼女がどのような環境で育ち、どのような人々と関わりながら生きたのかを探ることで、作品に込められた真のメッセージが浮かび上がってきます。
類まれなる知性を持った清少納言の生い立ち
清少納言は、西暦966年(康保3年)頃に誕生したと推測されています。
彼女の父親は、最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』に次ぐ、第二の勅撰和歌集『後撰和歌集』の編纂にも関わった著名な歌人、清原元輔です。
さらに曾祖父は『古今和歌集』などに優れた和歌を残した名歌人である清原深養父であり、彼女はまさに名門の和歌の家系に生まれ育ちました。
このような恵まれた環境の中で、清少納言は幼い頃から和歌や漢詩などの高度な教養を身につけていきます。
特に、当時女性が学ぶことは珍しかった漢文(中国の古典)の知識に優れており、その知性は宮中に入ってからも遺憾なく発揮されることになります。
優れた言葉のセンスと鋭い観察眼は、こうした教養豊かな生育環境によって培われたものと考えられます。
華やかな宮廷生活と中宮定子への絶対的な敬愛
清少納言の人生における最大の転機は、993年(正暦4年)頃、一条天皇の皇后(中宮)である藤原定子に女房として仕え始めたことです。
定子は当時まだ十代半ばでしたが、非常に聡明で美しく、明るい性格の持ち主でした。
清少納言は、一回り以上年下のこの気高い主君に深い感銘を受け、絶対的な忠誠と敬愛の念を抱くようになります。
定子の周囲には常に才能豊かな人々が集まり、和歌や漢詩を詠み交わす華やかで知的なサロンが形成されていました。
清少納言は得意の漢詩の知識や当意即妙の機転を活かし、このサロンの中心人物として活躍します。
『枕草子』に描かれている煌びやかな宮廷生活の描写は、まさに定子と共に過ごしたこの幸福な時代の記録なのです。
没落していく定子一族と『枕草子』執筆の真意
しかし、清少納言と定子の幸福な日々は長くは続きませんでした。
定子の父である藤原道隆が病に倒れて亡くなると、権力闘争の中で叔父の藤原道長が台頭し、定子の一族(中関白家)は急速に没落への道を辿ります。
兄弟たちは左遷され、後ろ盾を失った定子は出家を余儀なくされるなど、悲劇的な運命に翻弄されていきました。
そのような暗く沈んだ状況下で、清少納言は『枕草子』の執筆を始めたとされています。
驚くべきことに、作品の中には定子一族の悲惨な現状や政治的な陰謀については一切書かれていません。
そこにあるのは、定子が最も輝いていた時代の美しい思い出と、彼女の聡明さを称える言葉ばかりです。
清少納言は、愛する主君の輝かしい姿を永遠に文学の中に留めようという強い意志を持って、筆を執ったのではないでしょうか。
『枕草子』を形作る3つの章段分類をわかりやすく解説
『枕草子』は全297段にも及ぶ長編ですが、全体を貫くストーリーはありません。
内容を注意深く読み解くと、大きく3つのタイプ(章段)に分類できることが分かります。
それぞれの章段が持つ特徴を知ることで、清少納言の多彩な執筆スタイルを楽しむことができます。
日常の事物を切り取る「類聚段(るいじゅだん)」
一つ目は、「~は」「~もの」といった書き出しで始まる「類聚段(るいじゅだん)」です。
「類聚」とは、同じ種類や性質のものを集めて分類するという意味を持ちます。
清少納言は、独自のテーマを設けて、それに当てはまる事物や情景を次々と列挙していきました。
例えば、「うつくしきもの(かわいらしいもの)」や「にくきもの(気に食わないもの)」といったテーマがこれに該当します。
ただ羅列するだけでなく、なぜそれがかわいらしいのか、なぜ気に食わないのかという理由や具体的なシチュエーションが緻密に描かれているのが特徴です。
読者は、清少納言の感性に共感したり、意外な視点に驚かされたりしながら読み進めることができます。
独自の視点が光る「随想段(ずいそうだん)」
二つ目は、自然の風景や季節の移ろい、人間関係などに対する作者の思いを自由に綴った「随想段(ずいそうだん)」です。
現代のエッセイに最も近い形式と言えるでしょう。
かの有名な「春はあけぼの」から始まる第一段も、この随想段の代表的な作品です。
ここでは、清少納言の持つ優れた観察力と、物事の本質を見抜く鋭い洞察力が遺憾なく発揮されています。
自然の美しさを讃えるだけでなく、人々の振る舞いや社会の風習に対する皮肉や批評も交えられており、当時の社会を生きる一人の女性のリアルな声を聞くことができます。
彼女の知的な思考のプロセスが直接的に伝わってくるのが、この章段の大きな魅力となっています。
宮廷の記録を残す「日記段(にっきだん)」
三つ目は、定子のもとで仕えていた頃の具体的な出来事を回想して記した「日記段(にっきだん)」です。
別名「回想段」とも呼ばれ、宮中での行事や、天皇・貴族たちとの知的な交流、ちょっとした失敗談などが生き生きと描かれています。
この章段は、平安時代の宮廷文化や貴族の生活様式を知るための第一級の歴史的資料でもあります。
どのような装束を身につけ、どのような会話を楽しんでいたのかが具体的に記録されているのです。
また、定子に対する清少納言の深い愛情と尊敬の念が最も強く表れているのも、この日記段の特徴と言えます。
1000年経っても色褪せない『枕草子』の3つの魅力
『枕草子』が書かれてから1000年以上が経過した現代でも、私たちはこの作品を読んで面白いと感じることができます。
時代や価値観が大きく変わっても失われない、普遍的な魅力とは一体何なのでしょうか。
ここでは、大きく3つのポイントに絞ってその魅力を解説します。
鋭い観察眼で捉えた四季と自然の美しさ
第一の魅力は、何と言っても自然に対する圧倒的な解像度の高さです。
清少納言は、ただ漫然と風景を眺めるのではなく、時間や天候によって刻一刻と変化する自然の表情を的確に捉えました。
「春はあけぼの」で描かれる、空が白んでいくグラデーションの美しさなどは、その最たる例です。
彼女は視覚だけでなく、聴覚(虫の音や風の音)や触覚(霜の冷たさや火の暖かさ)といった五感をフルに活用して自然を描写しています。
そのため、読者は文字を読んでいるだけで、まるでその場に立って平安時代の空気を感じているかのような臨場感を味わうことができます。
日本の豊かな四季の美しさを、これほどまでに洗練された言葉で切り取った作品は他に類を見ません。
現代人にも共感できるリアルな人間模様と心理描写
第二の魅力は、時代を超えて共感を呼ぶ人間観察の鋭さです。
『枕草子』には、理想的な美しい情景だけでなく、人間の滑稽な部分や嫌な部分も赤裸々に綴られています。
例えば、「急いでいる時に限って、どうでもいい話をしにくる客」や「赤ん坊が泣いているのに知らん顔をして寝ている夫」などに対するイライラは、現代の私たちも思わず頷いてしまうほどリアルです。
清少納言は、人間の本質というものは1000年経ってもそう簡単に変わらないことを証明してくれています。
高貴な身分であっても、ドロドロとした感情や日常の些細なストレスを抱えて生きていたという事実が、古典文学に対する敷居を大きく下げてくれるのです。
彼女の毒舌とも言えるユーモアあふれる批判精神は、現代のSNSのつぶやきにも通じる面白さを持っています。
リズミカルで洗練された文体とユーモアのセンス
第三の魅力は、言葉選びの卓越したセンスと、流れるような美しい文体です。
『枕草子』の文章は非常に簡潔でありながら、無駄な言葉が一つもなく、リズム感に溢れています。
特に「~は」「~もの」といった体言止めを効果的に使うことで、余韻を残しつつ読者の想像力を掻き立てる工夫がなされています。
また、ただ美しいだけでなく、知的な言葉遊びやユーモアが随所に散りばめられている点も見逃せません。
漢詩の知識を前提とした高度な冗談で周囲を驚かせたり、あえて予想を裏切るような表現を用いたりするテクニックは圧巻です。
清少納言の文章を読んでいると、彼女の頭の回転の速さと、人生を前向きに楽しもうとする明るいエネルギーが伝わってきます。
有名な章段から読み解く清少納言の感性と美意識
『枕草子』の具体的な内容に触れることで、清少納言の美意識をさらに深く理解することができます。
ここでは、特に有名で魅力的な4つの章段を取り上げ、原文の雰囲気と現代語訳、そしてその背景にある意図を解説していきます。
四季の情景を切り取った第一段「春はあけぼの」
『枕草子』の幕開けを飾る第一段は、四季それぞれの最も美しい時間帯と情景を断定的に言い切った、日本文学史に残る名文です。
ここでは、春夏秋冬すべての原文と現代語訳をご紹介します。
【原文】
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
夏は夜。月の頃はさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの列ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。
【現代語訳】
春は夜明けが素晴らしい。少しずつ白んでいく山際が、わずかに明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいている様子がよい。
夏は夜が素晴らしい。月が出ている夜は言うまでもない。闇夜であっても、蛍が多く飛び交っている様子はよい。また、ただ一匹か二匹が、ほのかに光りながら飛んでいくのも趣がある。雨が降る夜もまた風情がある。
秋は夕暮れ時が素晴らしい。夕日が差して、山の端がとても近くなったように見える頃、烏が寝床へ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽と急いで飛んでいく様子でさえ、しみじみと情緒がある。まして、雁などが列をなして飛んでいるのが、とても小さく見えるのは非常に趣深い。日がすっかり沈んでしまってからの、風の音や虫の鳴き声などは、もう言葉で言い表せないほど素晴らしい。
冬は早朝が素晴らしい。雪が降っている朝は言うまでもない。霜が真っ白に降りている朝も、またそうでなくても、とても寒い時に、急いで火をおこして、炭を持って廊下を渡っていくのも、冬の朝にとても似つかわしい。昼になって、寒さが生温かく緩んでいくと、火鉢の火も白い灰ばかりになってしまって良くない。
ここでは、「春といえば桜」「秋といえば紅葉」といった当時の一般的な和歌の常識にとらわれず、清少納言独自の視点が示されています。
春は夜明けの空の繊細な色彩の変化を捉え、夏は暗闇に光る蛍の儚さや雨の音に美しさを見出しました。
そして秋は、夕暮れの空を急ぐ烏や雁の姿に動きを感じさせ、日が沈んだ後の音(風や虫の音)にまで意識を向けています。
冬については、早朝の雪や霜の厳しい冷たさと、炭火の暖かさを対比させるだけでなく、昼になって火が白く灰になってしまうと「わろし(良くない)」とバッサリ切り捨てるあたりに、清少納言らしい鋭い感性と美意識が表れています。
愛らしいものを集めた「うつくしきもの」
「うつくしきもの」の段は、現代語の「美しい」ではなく、「かわいらしい」「いじらしい」と感じるものを集めた類聚段です。
【原文の一部】
うつくしきもの。瓜に描きたるちごの顔。雀の子の、ねず鳴きするに躍り来る。二つ三つばかりなるちごの、急ぎて這ひ来る道に、いと小さき塵のありけるを、目ざとに見つけて、いとをかしげなる指およびにとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。
【現代語訳の一部】
かわいらしいもの。瓜に描いた幼児の顔。雀の子が、人がねずみの鳴き真似をして呼ぶと、ピョンピョンと跳ねてやって来る様子。二、三歳くらいの幼児が、急いで這ってくる途中で、とても小さなゴミがあるのをすばやく見つけて、とてもかわいらしい指でつまみ上げ、大人たちに見せている様子は、本当にかわいらしい。
瓜に子供の顔を描いた素朴な遊びや、動物の無邪気な動き、そして小さな子供の愛らしい仕草が細やかに描写されています。
宮廷という厳しい規律の中で生きていた清少納言が、こうした小さく無力な存在に向けていた温かく優しい眼差しを感じ取ることができる心温まる章段です。
日常のイライラを綴る「にくきもの」
清少納言の人間観察の鋭さと、ユーモアあふれる毒舌が存分に発揮されているのが「にくきもの」の段です。
「にくき」とは「憎らしい」「気に食わない」「イライラする」といった感情を表します。
【原文の一部】
にくきもの。急ぐことある折に来て長言する客。あなづりやすき人ならば、「後に」など言ひやらむとすれど、心恥づかしき人、いとにくく、むつかし。硯に髪の入りてすられたる。
【現代語訳の一部】
イライラするもの。急用がある時に限ってやって来て、長話をしていく客。適当にあしらえる相手なら「また後で」と言って追い返すこともできるが、気を使う目上の人だとそうもいかず、本当に腹立たしく、厄介だ。墨をすっている硯の中に、髪の毛が入って一緒にすられてしまった時。
空気を読まない来客への不満や、ちょっとしたアクシデントに対する苛立ちは、現代を生きる私たちにとっても「あるある」と共感できるものばかりです。
自分を飾ることなく、素直な感情をありのままに書き綴る清少納言の親しみやすい人柄が伝わってきます。
期待外れの情景を描く「すさまじきもの」
「すさまじきもの」とは、「興ざめなもの」「期待外れでがっかりするもの」「季節外れのもの」を集めた段です。
【原文の一部】
すさまじきもの。昼ほえる犬。春の網代。三四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼ひ。ちご亡くなりたる産屋。
【現代語訳の一部】
興ざめなもの。昼間に吠える犬。春になっても川に仕掛けられたままの氷魚をとる網代。三月や四月になっても着ている紅梅色の冬の装束。引いていた牛が死んでしまった牛飼い。赤ん坊が亡くなってしまった産屋。
本来あるべき姿から外れてしまったものに対する違和感や、取り返しのつかない喪失感が描かれています。
特に後半の「牛飼い」や「産屋」の描写からは、単なる興ざめというレベルを超えた、人生の無常観や深い悲しみへの共感も読み取ることができます。
明るく知的なだけでなく、世界の影の部分もしっかりと見据えていた清少納言の奥深さが現れています。
【比較表】『枕草子』と『源氏物語』の違いをわかりやすく解説
平安時代の文学を代表する二大巨頭といえば、清少納言の『枕草子』と、紫式部の『源氏物語』です。
同時代に書かれたこの二つの作品は、しばしば対比して語られます。
それぞれの特徴を比較表で整理し、その違いを詳しく見ていきましょう。
| 比較項目 | 『枕草子』 | 『源氏物語』 |
|---|---|---|
| 作者 | 清少納言(中宮定子に仕える) | 紫式部(中宮彰子に仕える) |
| 成立時期 | 1000年頃(平安時代中期) | 1008年頃(平安時代中期) |
| ジャンル | 随筆(エッセイ) | 長編物語(小説) |
| 文学的理念 | をかし(明るく知的な美しさ、客観的) | もののあはれ(しみじみとした情趣、主観的) |
| 文体・構成 | 短編の集まり、リズミカルで簡潔 | 壮大なストーリー、重厚で流麗な長文 |
| 主なテーマ | 自然の観察、日常の出来事、宮廷生活 | 光源氏の生涯、複雑な恋愛模様、人間の業 |
「をかし」の清少納言と「もののあはれ」の紫式部
表にもある通り、両者を区別する最も重要なキーワードが、文学的理念の違いです。
清少納言が追求した「をかし」は、対象から少し距離を置き、その面白さや美しさを知的に捉える客観的な態度を指します。
明るく、論理的で、時には鋭い批評を伴うのが特徴です。
一方、紫式部が『源氏物語』で描いた「もののあはれ」は、対象と深く感情移入し、しみじみとした悲しみや感動を味わう主観的な態度を指します。
人間の宿命や愛憎の苦悩など、心の奥底にある暗く重い部分にまで踏み込んでいるのが特徴です。
全く異なる二つの美意識が、同じ時代に完成されたことは非常に興味深い歴史の必然と言えるでしょう。
二人のライバル関係と文学史における意義
清少納言が仕えた定子と、紫式部が仕えた彰子は、ともに一条天皇の后であり、宮廷内で激しい権力闘争を繰り広げていたライバル同士でした。
二人の作家が直接顔を合わせたという確かな記録はありませんが、紫式部は自身の日記(『紫式部日記』)の中で、清少納言の教養ひけらかしや軽薄な態度を辛辣に批判しています。
この紫式部の批判は、才能あふれる清少納言に対する強い対抗意識の裏返しであったと考えられています。
知性で勝負する「をかし」の文学と、情緒で勝負する「もののあはれ」の文学。
この二つの頂点が競い合うように誕生したことで、日本の古典文学は世界に類を見ないほどの豊かな発展を遂げることになったのです。
平安時代の貴族文化を知る貴重な歴史的資料としての価値
『枕草子』は優れた文学作品であると同時に、当時の社会や文化を克明に記録した歴史的資料としての側面も持ち合わせています。
文章の端々から、現代とは全く異なる平安貴族たちの優雅な生活様式が浮かび上がってきます。
当時のファッションや美の基準
作品の中には、貴族たちが身にまとっていた装束の色やデザインに関する記述が数多く登場します。
平安時代は「かさねの色目」と呼ばれる、衣服の表地と裏地、あるいは複数の衣服を重ね着した際の色彩の組み合わせが非常に重要視された時代でした。
清少納言は、季節に合っていない色目を着ている人を痛烈に批判するなど、ファッションにおける高い美意識を持っていたことが分かります。
また、美しいとされる容姿の基準についても言及されています。
長く豊かな黒髪や、ふくよかな顔立ちが良しとされ、外見だけでなく、立ち振る舞いの優雅さや声の美しさも高く評価されていました。
宮廷社会における恋愛と教養の重要性
平安貴族の恋愛において、和歌の贈答は絶対的なコミュニケーションツールでした。
男性から送られてきた和歌に対し、いかに機知に富んだ美しい歌を素早く返せるかが、女性の評価を大きく左右したのです。
『枕草子』には、清少納言が機転を利かせて和歌や漢詩を引用し、男性貴族たちをやり込める痛快なエピソードがいくつも記されています。
当時の宮廷社会では、ただ家柄が良いだけでなく、文学や芸術に対する深い教養を持つことが、人間としての魅力を決める最も重要な要素でした。
『枕草子』を読むことで、私たちはそのような知的なコミュニケーションが繰り広げられていた優雅な世界を垣間見ることができるのです。
現代の私たちが『枕草子』から学べることと楽しみ方
1000年前の文学作品である『枕草子』は、情報化社会を生きる現代の私たちにも、多くの気づきを与えてくれます。
古典だからと敬遠せず、一歩踏み込んでその世界を楽しむためのアプローチをご紹介します。
日常の小さな変化に気づく心の豊かさ
私たちが『枕草子』から学べる最も大きな教訓は、日常の中に潜む小さな美しさや面白さを発見する力です。
清少納言は、特別な出来事や絶景を探し求めたわけではありません。
ただそこにある朝の空の色や、足元を這う小さな虫、雨上がりの木の葉の輝きに感動し、それを言葉にしました。
忙しい現代社会では、こうした些細な変化を見落としてしまいがちです。
『枕草子』を読むことで、凝り固まった視点がほぐれ、身の回りにある当たり前の風景が少し違って見えてくるはずです。
「自分の日常の中にある『をかし』は何だろう?」と考えながら日々を過ごすことで、人生はより豊かなものになるでしょう。
初心者向け!おすすめの現代語訳や関連書籍を活用した読み方
いきなり原文から読み始めるのはハードルが高いため、まずは現代語訳された書籍から入ることを強くおすすめします。
現在では、分かりやすい解説がついたものや、有名作家による意訳版、さらには漫画化されたものまで、幅広いアプローチの書籍が出版されています。
現代語訳で全体の世界観や面白いエピソードを把握した後に、気に入った章段の原文に触れてみてください。
声に出して読んでみることで、清少納言がこだわった言葉のリズムや響きの美しさを体感することができるでしょう。
また、平安時代の歴史や装束に関する図解本などを手元に置き、当時のビジュアルを想像しながら読むのも楽しいアプローチです。
侘び寂びとは?意味や「侘び・寂び」の違いを分かりやすく解説!具体例や海外での反応も
まとめ:清少納言が描いた輝かしい平安の世に思いを馳せて
『枕草子』は、清少納言という類まれな知性と感性を持った女性が、中宮定子との輝かしい日々を中心に綴った奇跡の随筆文学です。
その研ぎ澄まされた観察眼と洗練されたユーモアは、「をかし」という独自の美意識を確立し、1000年の時を超えて今なお私たちの心を揺さぶり続けています。
四季の移ろいを愛でる繊細な心や、人間の弱さを笑い飛ばすおおらかさは、時代が変わっても色褪せることのない日本人の精神の源流とも言えるものです。
この機会にぜひ『枕草子』のページを開き、清少納言が描き出した知性的で美しい平安の宮廷世界をじっくりと堪能してみてはいかがでしょうか。
きっと、あなた自身の毎日を彩る新しい視点が見つかるはずです。

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≪…「三つ四つ二つ三つ」…≫について、数の言葉ヒフミヨ(1234)の自然数が大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】の平面(2次元)からの送り返しモノと、十進法の基における桁表示の西洋数学の成果の符号からの送り返して来たモノとで眺めると、
『自然比矩形』 と [√7] に想う・・・
『自然比矩形』は、絵本の力で・・・
もろはのつるぎ (有田川町電子図書館)
久方の光のどけきながしかく静心なく四角なるらむ
[√7]は、高見神社の算額 (北九州市)
もろともにあわれとおもへヒフミヨは根より他に知る人も